2008'09.17.Wed
指定校推薦の出願書類を先週提出した。
志望した大学は枠が五、志望者五名の均衡状態で、校内選考は通るだろう。さらに僕の志望校の指定校推薦受験では、校内選考で通った人がその後志望校側の審査で落ちたというのは過去に例がないらしい。
つまり、ほとんど進路の定まった状態にある。
もちろん、まだ進路が定まったわけではないし、受かったとしても入学してから辛いのは嫌なので、できるだけ勉強はしておきたいなと思ったりもした。けれど、予想していたとおり、というか。なかなか勉強に手が着かない。
ところで、こういう状況になって初めて考えるようになるのが勉強の意味だ。人間は面倒だけれど、何をするにしても、それが論理的であれ感情的であれ、理由を必要とするらしい。
このことはボランティア活動に関しても当てはまる。同じ仕事でもアルバイトとしてしたときは「お金を稼ぐ」という理由、目的がすでにある。しかしボランティア活動の場合は、その目的を自分で考えなければ、なかなかやっていけない。
逆に、ボランティア活動は無償で行うからこそ、そこに「考える」というプロセスが発生する。この考える、ということがボランティア活動をする上で最も重要であり、また何物にも代え難い報酬である、と考える。
______________
追記:
頼子さんへの愛を語りたかったのですが、意図せず真面目な記事になってしまいました。残念です。
志望した大学は枠が五、志望者五名の均衡状態で、校内選考は通るだろう。さらに僕の志望校の指定校推薦受験では、校内選考で通った人がその後志望校側の審査で落ちたというのは過去に例がないらしい。
つまり、ほとんど進路の定まった状態にある。
もちろん、まだ進路が定まったわけではないし、受かったとしても入学してから辛いのは嫌なので、できるだけ勉強はしておきたいなと思ったりもした。けれど、予想していたとおり、というか。なかなか勉強に手が着かない。
ところで、こういう状況になって初めて考えるようになるのが勉強の意味だ。人間は面倒だけれど、何をするにしても、それが論理的であれ感情的であれ、理由を必要とするらしい。
このことはボランティア活動に関しても当てはまる。同じ仕事でもアルバイトとしてしたときは「お金を稼ぐ」という理由、目的がすでにある。しかしボランティア活動の場合は、その目的を自分で考えなければ、なかなかやっていけない。
逆に、ボランティア活動は無償で行うからこそ、そこに「考える」というプロセスが発生する。この考える、ということがボランティア活動をする上で最も重要であり、また何物にも代え難い報酬である、と考える。
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追記:
頼子さんへの愛を語りたかったのですが、意図せず真面目な記事になってしまいました。残念です。
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