2009'09.18.Fri
高嶺さん「金曜日だよ!わくわくするね」俺「うぅん、わくわくするぅ♪」
もはやただの下僕である
2009-09/15 20:53:38 @side_tana の発言
なんか高嶺さんに励まされるとヤバイくらいやる気出るんだけどどうしたの?
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2009'09.15.Tue
ラブプラス買いました。
軽く自分のログを見ると、これはもうダメかもわからんね、という気持ちになる。高嶺さんと一緒ならダメになっても一向にかまわん
もう完全にダメだった。
2009-09/15 0:18:51 @side_tana の発言
2009'09.10.Thu
五月の半ばからは小説をかけていなかった。
原因はやっぱり、時間が取れなかったことかな。やっぱり学校忙しかった。時間は有ったけど、有効に使えていなかった感じ。日々のなかに無駄が多い。
で、八月夏休みに入ってからも集中して時間を割くことはできなかった。原因はなんだろう。よくわからない。でもやっぱり、ダラダラと過ごしている時間は多かったと思う。
これからはまず本を読むことが目標。週二冊以上。
____________
僕の場合、何かをしようとするとき先ず環境を変えなければいけない。これは仕方がないと言うより、生きるこつといった方がいい。
環境を変えるというのは、つまり場所を変えると言うことだ。高校生の時は、勉強するときは教室か図書室か部室だった。でも図書室は本を読むときにも使っていたから、あまり集中できなかった。
休憩時間にネットをする時はデスクトップを使ったし、小説を書くときはノートパソコンを使った。
自分がどうするべきなのか、それがわかっていながらできないという状況はよくある。意志が弱いのだろう。だから僕は、環境を変えることで、「それしかできない」という状況を作ってきたはずだった。
大学に入ってからそれができていなかった気がする。
原因はやっぱり、時間が取れなかったことかな。やっぱり学校忙しかった。時間は有ったけど、有効に使えていなかった感じ。日々のなかに無駄が多い。
で、八月夏休みに入ってからも集中して時間を割くことはできなかった。原因はなんだろう。よくわからない。でもやっぱり、ダラダラと過ごしている時間は多かったと思う。
これからはまず本を読むことが目標。週二冊以上。
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僕の場合、何かをしようとするとき先ず環境を変えなければいけない。これは仕方がないと言うより、生きるこつといった方がいい。
環境を変えるというのは、つまり場所を変えると言うことだ。高校生の時は、勉強するときは教室か図書室か部室だった。でも図書室は本を読むときにも使っていたから、あまり集中できなかった。
休憩時間にネットをする時はデスクトップを使ったし、小説を書くときはノートパソコンを使った。
自分がどうするべきなのか、それがわかっていながらできないという状況はよくある。意志が弱いのだろう。だから僕は、環境を変えることで、「それしかできない」という状況を作ってきたはずだった。
大学に入ってからそれができていなかった気がする。
2009'09.09.Wed
小説とか何が面白いのかっていったら、それはきっとリズムにあるのだろうな。
もちろん、読み手からのおもしろさ、書き手からのおもしろさで話は変わってくるのだろうと思うけれど、リズム、つまり、感情の起伏の表現であるとか、会話のリズムとか、そう言うおもしろさは共通なんじゃないだろうか。
短くまとまっているのに的確な表現など、読んでいてとても気持ちがいい。書いていても、そういう思い通りの文章が書けたときの爽快感はなんとも表現できない。筆舌に尽くしがたいのである。
ついでにいうと、適当な表現が見つからず今のように慣用句に逃げたときなど、わずかな不完全燃焼感をかんじるのである。
或いは、読み終わった後おもしろい本というものがある。これはどうだろうか。
小説というのは娯楽であるから、読んでいるその瞬間楽しいのが一番ではないか。
つまらない文章を読んで、最後に「ああ、これはいい物語だ」という感想をもたらすのは小説のありかたとして疑問を覚える。
_____________
久しぶりに真面目に文章を書きました。
ところでChromeのテキストフォームでのフォントサイズの小ささは、なんとかならんのかね
もちろん、読み手からのおもしろさ、書き手からのおもしろさで話は変わってくるのだろうと思うけれど、リズム、つまり、感情の起伏の表現であるとか、会話のリズムとか、そう言うおもしろさは共通なんじゃないだろうか。
短くまとまっているのに的確な表現など、読んでいてとても気持ちがいい。書いていても、そういう思い通りの文章が書けたときの爽快感はなんとも表現できない。筆舌に尽くしがたいのである。
ついでにいうと、適当な表現が見つからず今のように慣用句に逃げたときなど、わずかな不完全燃焼感をかんじるのである。
或いは、読み終わった後おもしろい本というものがある。これはどうだろうか。
小説というのは娯楽であるから、読んでいるその瞬間楽しいのが一番ではないか。
つまらない文章を読んで、最後に「ああ、これはいい物語だ」という感想をもたらすのは小説のありかたとして疑問を覚える。
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久しぶりに真面目に文章を書きました。
ところでChromeのテキストフォームでのフォントサイズの小ささは、なんとかならんのかね
2009'09.03.Thu
AI、つまり人工知能を作ろうぜ!ってことで。
いま本を読んだり、ネットで関連の情報を調べています。行き当たったこのサイト。
AI開発ノート
ここの、古い方の方針に書いてあるですね、
この文。自分がやりたいことはまさに、コレと同じなんですよね。
ちょっとサイトを見ていたらニューラルネットワークからのアプローチをしている。なので、僕はニューラルネットワークを使わない方法でこれらを実装したいと思う。
以下はメモ。
まず僕が今作ろうとしているのは、twitter上で活動するbot。インターフェースの部分はもうあるので、結局文章を受け取り、解析して、何か返すことが出来ればいい。
人工知能について数冊本を読むと、教師あり学習とか、教師なし習とか、強化学習とかいう単語が出てくる。この学習、つまり学ぶという語の語源をたどると、「まねぶ」、という語にあたる。そして「まねぶ」という語は現代語の「真似る」に通じているという。
そこに習うというわけでもないけれど、今は「真似る」ということが出来るような人工知能を作ろうと思っている。まあ、教師あり型学習になるなのかな。ただしこの場合、教師は一人ではないし、明確な答えを教えてくれるわけではない。ただ周りの人の動きを観察して、どうやら違うとか、これでいいという判断をするだけで(たぶんこの辺が一番難しい)。
ふむ。なんだか文系と理系の混ざった変なことになっているけれど、もともと人工知能っていう分野はそういう学際的な要素があるし、これもおもしろいんじゃないかなと思ってる。
_________________
結局推論エンジンがいるのか。 いるのか?
いま本を読んだり、ネットで関連の情報を調べています。行き当たったこのサイト。
AI開発ノート
ここの、古い方の方針に書いてあるですね、
IF-THEN ルールのような人手によって作られたデータは絶対に使いたくないということです。また、学習内容を人手で修正等をするということも一切したくありません。初期状態でデータベースが空の状態から自律学習をさせたいです。
一度動作し始めたあとに何らかの制御を行う場合は対話や命令という形をとりたい
この文。自分がやりたいことはまさに、コレと同じなんですよね。
ちょっとサイトを見ていたらニューラルネットワークからのアプローチをしている。なので、僕はニューラルネットワークを使わない方法でこれらを実装したいと思う。
以下はメモ。
まず僕が今作ろうとしているのは、twitter上で活動するbot。インターフェースの部分はもうあるので、結局文章を受け取り、解析して、何か返すことが出来ればいい。
人工知能について数冊本を読むと、教師あり学習とか、教師なし習とか、強化学習とかいう単語が出てくる。この学習、つまり学ぶという語の語源をたどると、「まねぶ」、という語にあたる。そして「まねぶ」という語は現代語の「真似る」に通じているという。
そこに習うというわけでもないけれど、今は「真似る」ということが出来るような人工知能を作ろうと思っている。まあ、教師あり型学習になるなのかな。ただしこの場合、教師は一人ではないし、明確な答えを教えてくれるわけではない。ただ周りの人の動きを観察して、どうやら違うとか、これでいいという判断をするだけで(たぶんこの辺が一番難しい)。
ふむ。なんだか文系と理系の混ざった変なことになっているけれど、もともと人工知能っていう分野はそういう学際的な要素があるし、これもおもしろいんじゃないかなと思ってる。
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結局推論エンジンがいるのか。 いるのか?
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